主人公がいい。

人間は会話で出来ている。

コミュニティが広がるほど、嫌いって感情なくなりません?

 

 

 

「コミュニティが広がるほど、嫌いって感情なくなりません?」

パソコンの画面をじっと見つめながら、キーボードをカタカタするのを止めず、上司からの質問に対して答えた。

 

「ん?どういうこと?」

 

「えっと、さっき嫌いな人に対してはどういう対応をするのか、って質問をされましたよね?」

 

「そうだね、君がさっき僕にそれを聞いてきたから、君はどうなのかなって思ってね」

 

彼はありきたりな対応をするらしい。話さないし話しもかけない、聞こえないふるをする。彼と会話をしているってことは少なくとも自分は嫌われてはいないってことになるのか。

 

「言葉の通りです。コミュニティが広がれば、そんな無駄な感情は湧かなくなるよねってことです」

 

「それが、どういう意味?」

 

「例えば、小さいコミュニティで言えば小学校。クラス制度でいつも会うメンバーは固定化される。次は中学高校。クラス制度にプラス部活も加わってくる。次に大学。サークル制度からアルバイト、もっと言えば留学とか、所属するコミュニティの幅が広がっていきますよね。社会人になれば、社内外の人との関わりが余計に増えてくる。そんな中で、人一人のことを嫌いになるって感情を抱くこと自体が無駄だと思いませんか?」

 

以前、本の背表紙に『無駄を省け!』というフレーズがあった。本屋に寄って、何かしらの大人の理由で目にとまり易く陳列された書物を眺めても、『人生は取捨選択だ』『断捨離』『スマートに行こう』など自己啓発色が強めのキャッチコピーで装飾されているのを見ると、確かになるほどと無意識に首肯する。

 

「でも僕は違うかな。」

「何が違うんですか?」

今にも喰らいつくような目をして答えを催促する。

 

「僕は、誰が嫌い?って聞かれたときに、この人が嫌い、って言えるように嫌いな人のことは忘れないようにしているよ。」

モノの理屈が理解できれば、納得してしまうものだ。面白いとは自分の中にはなかった意外な意見で、だけど案外納得できるときにふいに出てしまうワード。

 

「・・なるほど、それは面白いですね。」

無意識だった。