主人公がいい。

人間は会話で出来ている。

油断していた身体がシートにおもっきし叩きつけられた。

2777 : Attention to the deer! | Flickr - Photo Sharing!

 

「あれなんだっけ?マンネリでもなくジンクスでもなく、トラウマでもなくて…。」

 

木曜金曜と会社の制度の有給休暇を取得して、頂いたお休みは京都観光に当てた。ニュースによると土曜日から日曜日にかけての京都は生憎の豪雨で観光は厳しい状態であったらしいが、自分たちは平日に行ったのでむしろ直射日光によって肌が焼けるほどであった。

 

「なになに?思い出せないの?」

 

この旅は、京都に移住した友人に会いに東京から遠路遥々やってきて再会を果たすのが目的。さらに言うと、旅行の目的は彼のルーツに触れること。夜行バスに乗り、10時間程掛け早朝の京都に到着し、その足でレンタカーショップでカーレンタルをして、彼の両親が住む限界集落へと向かっている車中での出来事である。

 

「最近、というより前からだけど、ここぞというときに単語が出てこないんだよな。別に今いらないよってときには溢れんばかりの言葉が湧き出てくるんだけど、会話で使おうとすると急にシャッターが降りてくるんだよね。」

「わからんでもないけど、痴呆症の疑いありやねえ。笑」

「やっぱりそうかなあ。若年層アルツハイマーきたかな。」

 

彼は運転係。係というと役割分担をしていそうだけど、自分はただ助手席に座って景色を眺めながらシートを倒して寝転がってるだけ。でも、それだけじゃなくて、お喋りもしてる。運転中、会話をしたがる人としたがらない人がいる。彼は前者である。ハンドルを握りながら彼は、彼のルーツである村のエピソードを、思い出の場所が見える度に語ってくる。東京育ちの自分としてはなんともカルチャーショックなエピソードが多々あったが、それを面白おかしく喋るのも彼の得意技である。

 

「あれだよ、あれ。 一回の失敗で自信を見失って何度も同じミスをしてしまうやつ。」

「あーなんやったっけね。野球選手とかが陥るやつやろ?」

「それそれ!」

「あれやろ、あれ。」

「どれやどれや。」

「・・・」

「・・・」

「スランプやろ?」

「それや!」

 

人は何か嬉しいときや気持ちが良いとき脳汁が出るらしい。またの名をエンドルフィンとも言うらしい。『スランプ』という単語を聞いて自分の頭内は脳汁で一杯になった。

 

「よく思い出してくれたねえ。」

 

運転中の彼をちらっと見ると、彼はこの上なく、どんなもんよ、という顔をしていた。

 

「脳の中の深い闇に落ちた言葉ってどうやって引き出すんだろうねえ。」

「そりゃ関連づけて思い出すしかないやろね。」

 

JINZPCで買ったメガネの奥にある眼球が光る。

 

「どうやって思い出したの?」

「それは、言葉を使うシーンで思い出すよな。」

「ふむ。というと?」

「例えば、スランプだって、野球選手がよく陥るやつって例えを使ったやん?そっからなんとなく思い出すんやろと思うで。」

「なんとなくってのが曖昧だよな。だって今回の場合は、野球選手が陥るやつって例の前にもう既にこういう状況で使われるだろうって頭ではイメージ出来てたわけじゃん。それでいて思い出せないってのはもうなんなの?末期?」

 

以前にも、友人と飲み屋で話をしていた時、『こないだ渋谷でパンダの着ぐるみのティッシュ配りの人見たわ。』に『それレディー・ガガしか許されないでしょ』って言おうとして、『レディー・ガガ』が出なかったことがあった。思い出すために会話が止まったのは言うまでもない。

 

「俺だってそういう状況あるから大丈夫やろ。」

「でもスランプって単語出たやん。」

「今回はたまたまやって。」

「もう、俺、使わなくなった言葉とか脳の端の端の方に置き去っちゃうから、ここぞってときに引っ張り出せんくなるんよな。マトリョーシカ人形状態だよね。」

マトリョーシカ人形とかは出るんやな。笑」

「無駄なもんは引き出せる不都合な脳みそだからね。」

 

車が赤信号につかまった。目の前を老人が通る。

心なしかこっちを一瞥した。

 

「でも、あれは最後にちゃんと正体が現れるからな。俺の場合、最後の二枚目くらいのやつが何かに突っ掛かってなかなかドカないんだわ。」

 

助手席からは鹿と狸の飛び出し注意の標識がいくつも見える。別に田舎を馬鹿にするつもりはないけど、こんな標識東京では滅多に見られない。こんなの一つあればいいのに何度も何度も張り出してるのはやっぱり飛び出してくるから?彼が言うには『帰り道、鹿に注意しろよって普通じゃないと思ってるやろ?こっちでは日常やからな』と言っていた。鹿なんて動物園でしか見たことありません。

 

「深くまで落ちた言葉を引っ張りだしてくるのは難しいんやろな。」

 

信号が青になって、彼はアクセルをぎゅっと踏み込んだ。

その反動で、油断していた身体がシートにおもっきし叩きつけられた。