バガボンドにとって、とても居心地の良いものとなっていた。
「そういえば、渋谷のクラブで会った40歳の女の人とはまだLINE続いているの?」
勢い余ってカシスオレンジをぐいっと半分まで飲んでしまった。 よっぽど喉が乾いていたんだと思う。 途中から入ってきたサラリーマンらしき人が自分たちの隣の席に座り、僕たちは奥に追いやられる形で席を一個ずれた。 サラリーマンらしき人はGUINESSビールの大を、連れの男性は中を注文し、泡が引くまでBARの店員とニコやかに会話を楽しんでいた。
「もう既読スルーしているよ」
「あんだけ彼女のバックグラウンドを求めていたのに。笑」
現時刻は21時45分。22時からピアノの生演奏が始まるという情報を聞きつけて、とあるBARのカウンターに腰を掛けた。 雰囲気は昔ながらのレトロチックで、壁や照明のデザインは指で擦ったらゴッソリと埃が取れそうなほど年季の入ったものだった。
「彼女のバッググランドに興味がなくなったわけじゃないよ。 あくまで現時点では俺があの人が持つ、人との繋がりってものを有益なものに転換出来なそうだから連絡を止めただけで、折を見てまた連絡するつもりだよ」
客層に規則性はない。 平日講義が終わったらアルバイトで、休日をお洒落な場所でお金を使っています的な大学生やお高いスーツに身を纏いそのブランドの知名度や評判によって自分の価値を顕示してます的なビジネスマンや余生は自分のためだけに贅沢に暮らすのを覚悟した独身貴族の方々がそこにはいた。
「濃密な関係でもない人との繋がりって意味あるの?」
店員は可愛らしい制服などは着てはいない。 むしろ家の近くのコンビニまでちょっと出てきました的な、トラのキャラクターが印刷されたTシャツと穴が空いたジーパンで客を饗していた。 店員だけを見て取ると、ラーメンを注文したら奥のほうで「ラーメン一丁!」と掛け声が聞こえてくるような庶民化されたBARだ。
「あるさ。 もしなにかあったとき俺の声が一人でも多くの人に届けられる状態にあった方がいいと思わない?」
「そのセリフカッコいいな全く。笑」
場所は新宿。新大久保が近いということもあって、店内はインターナショナルな空間となっており、店員も5人中2人は外国人体制のシフトが組まれているようだった。
「だろ? あの時、彼女とLINEを交換しているからこそ、この先、俺の声が死ぬことはないんだよ」
22時ジャストにピアノの演奏が始まった。 酒が入り混じった老若男女の客の濁声とピアノの華麗な音色は、店内の混沌さにより弾みを付けた。
「その時は俺の声も一緒に送り届けてくれよな」
そこはバガボンドにとって、とても居心地の良いものとなっていた。